2004/11/17: 『陰毛は飛ぶ』

私は陰毛に関して、強い記憶がある。

子供の頃から知っている人で、Kという女性がいた。
3つ上の人で、幼い頃からお菓子やアイスを買ってくれたりと、何故だかかわいがってもらった。
高校を卒業し、東京の大学に通うこととなった彼女は、18の春に田舎を捨て一人暮らしを始めた。

都会から来た人は蛙の鳴き声がうるさくて眠れないぐらいの土地に住んでいた田舎者の俺としては
「東京に一人で住むなんてすごいなと」意外に素直に未知の世界へ飛び込んだ彼女に感心し、
「六本木なら新宿で都営大江戸線に乗り換えれば…そうだなここから20分ぐらいかな」
などとサラッと東京の地下鉄路線図の知識を披露しようものなら、迷いもなく白旗を振る勢いで、
呼称も「姉貴」に変わるぐらいの差を感じたものだった。

夏休みに入った頃、ひょんなことからそんな彼女の家に遊びに行くことになった。



と、一人暮らしの女性の家に行く、という響きがなにやらロマンスが隠れてそうだが、そんな展開ではない。
確かに高校1年の俺としては、一人暮らしの女性の家に行くのは初めての経験だったのだが
なにせこの話の主人公は陰毛なのである。


そう陰毛。


これは陰毛の話だ。




それなりに美味しい手作りの夕食をご馳走になると、彼女はビールを飲みはじめる。
俺はヘタレお子様らしく可愛いマグカップでココアをすすりながら普通にテレビを見て和んでいた。
誰々は元気? などの昔話に適当に答えつつ、特に意味もなく絨毯をコロコロするやつを手に取り、そして床の上で転がしていた。

きれいに見える絨毯の上を何往復かしただけで白かったのが灰色になってしまうシール。
そしてそこについていたのが素麺の中に入っているサクランボぐらい場違いな金色の髪。
しかも髪の根元3cmぐらいが黒い、中途半端な状態。ちなみに俺はもちろん、彼女も黒髪だ。

「最近この部屋に金髪の人…来なかった?」
テレビを見ながら、先の展開も考えずに聞いた俺。

「え? どうして急に?」
意外な顔をしつつ、雰囲気的に肯定を表す新東京人。

「いや別に、これに金の髪の毛がくっついてるから、ただ聞いただけなんだけどさ」
と言うと彼女は余裕の表情を見せる。

「ふ…。まあ、私でも男の一人や二人。まあ、いわゆるキャンパスライフっつーのを体験してるわけよ」
と勝ち誇ったような回りくどい台詞。


まあ、誰が見ても間違いなく美人なのでそれもまあ当然の話ではある。

「どんな人?」
と突っ込む俺。

「あ、あの中にいる?」
と、テレビの上に飾られいている大学の友達同士での飲み会での記念写真を指差した。
男女合わせて15人ぐらいが赤い顔をしつつも満面の笑みでピースサインを出している。
今考えれば、死ぬほど田舎臭く、幸せの青春具合がにじみ出ている羨ましい写真なんだろうけど
当時の俺としては未知の大人の世界のようで、なぜかそんな中にいる彼女との距離感を感じた。


「………」



「ホントわかりやすいな。じゃ…チェック…っと」

腰をあげる俺に向かって、ダチョウ倶楽部となんら変わらぬ「やめろよ~」と発する彼女。
その期待に応えるように写真を手に取ろうとした。


が…



そこで発見したのだ。

いや、発見してしまったのだ。




陰毛を。









テレビの上にある陰毛を。






















ざわざわ…













ありえない。

ありえない。

どうしてテレビの上に…
もちろん俺も小学生じゃない。精神的に幼稚とは言えども高校生なわけだ。
床に落ちている陰毛ぐらい屁とも思わない。男女の差も関係なく、こればかりは仕方ないだろう。


しかし、どうしてよりによってテレビの上なのだ。
今まで俺らを楽しませてくれていたテレビの上なのだ。

その当時の俺にはレベルが高すぎる関門だった。


部屋を見渡す。

テレビの周囲には特にこれと言って何もない。
テレビ台があるために、おそらく床から陰毛までの距離は1メートル30センチと予測。
アクシデントでここに到達した可能性は低いと思われる。

例えば風に乗ってたどり着いたという仮説。
扇風機などの強力な強風生成期の存在が確認されたわけでもなく、
ロフトのある部屋のため普通のアパートより1.5倍ぐらい天井が高いこの部屋、
その天井付近に設置されたエアコンごときの風力では陰毛を飛ばすには至らないだろう。
無論、テレビ付近に窓はない。

さらにはテレビの上を拭いた雑巾にもともと陰毛が付着していたという仮説。
これも、テレビ代の横に置かれた除菌用ウェットティッシュの存在がその仮説を否定していると言えよう。

基本的に陰毛が外気に触れるのは全裸のときだろうから、風呂上りだろう。


……


この人はいったい何をしてるんだ?



普段の姿では想像できない秘密が隠されているのだろうか。
全裸で倒立でもしてるのだろうか。
「うひゃひゃひゃひゃ~陰毛ビーム!」と奇声を上げて陰毛を掻きむしっているのだろうか。
もしくは古代インドから伝わるという陰毛の儀式を厳かに行っているのだろうか。

とにかく俺はその恣意的に縮れた陰毛自体を見たからではなく、テレビの上、という意外性の事実に衝撃を受けた。
これは数年後に韓国のネットカフェのキーボードのリターンキーに陰毛が絡まっていたのの数倍の破壊力を持っていたといえよう。





しかしそれから8年が経った今。
一つの結論にたどり着いた。

これは現在俺が住んでいるワンルームアパートのシャワー室。
見ての通り換気扇があるので天井で…そしてよく見るとわかるのだが…









天井に陰毛が!





ありえない。

テレビの上の100倍ありえない。


もちろん俺が突如発狂して陰毛の儀式を行った可能性はない。


















8年間も土の中でじっと成長して、ある夏の1週間だけ自由に空を飛び回るセミ。
ジージーうるさいセミは何を考えて鳴いているのだろう。
きっと
「うっはっは~俺は今かなり自由だぜ~空を飛んでるぜ~」と言ってるはずだ。

縮れてるというだけで、髪の毛をはじめとする直毛に圧倒的な大差で外貌的に劣る陰毛。
ラーメンに入っていたのが髪の毛ならば、我慢することもできるだろう。
しかし陰毛だったら黙っていられるはずがない。アメリカ人なら訴えるに違いない。そんな陰毛。
しかも宿命は陰部を守るという地味で辛い仕事。

「お前デブだからGKやっとけ。ボールが来たら肉で跳ね返せ」
とクラスのリーダーに無理難題を押し付けられ、試合前から敗因候補ナンバーワンの後藤田くん。
彼は
「くそっ…今に見てろ、卒業したら…」と思っていただろう。

セミだって
「くっそー、デラ暗ぇーよー。しかも暇すぎじゃねーかよ。いつか地上に出たら…」と思っていたに違いない。

陰毛だって、陰毛だって…






そうだ。








私は思う。陰毛は飛ぶのだ、と。